​​創作小説

スウィート・ビター・ラプソディ​

「ありがとうございました」
 ブレンド一杯で5時間粘り続けた客が帰ると、店に僕とマスター以外の人間はいなくなった。
「ふぅ、やっと一息つけるな」
「スタバ、少し休憩していいぞ」
 カウンターの中の定位置である椅子に座って新聞を読んでいたマスターの言葉を受けて、僕は店の中のテーブル席に腰を下ろした。
 この店でバリスタになるための修業を始めて、もう2年になる。けれども、マスターは肝心の珈琲の淹れ方を教えてくれない。
 だったら、他の店で修行をすればいいじゃないか。という人もいるけれども、うちの店がこのカフィ王国で一番の珈琲を淹れる店だと僕は思っているので、その意見には首を縦に振ることはできない。
 ――まぁいいさ。気長に気長に、ね。
 そんなことを考えながらオレンジジュースを飲んでいると、店のドアが勢い良く開けられた。
「あ、いらっしゃ――って、うわぁ!?」
 店に飛び込んできた人影は、勢い良く転がってカウンターの下へ。
「な、なに!?」
「ちょっと追われててね。匿って!」
 人影から飛んできた声は、女性のものだった。意志の強さがはっきりと感じられる、輪郭の強い声。
「あ、ああ。いいけど」
 いきなりの事態に、僕は面食らった。マスターに視線を向ければ、まったく動じずに新聞を読んでいる。
 店の前を黒尽くめの男たちが足早に走り抜けていくのが、僕の座っているテーブル席から見えた。
「行った?」
 女性の声がカウンター下から飛んでくる。
「うん、多分大丈夫。よ、っと」
 カウンターの下から女性が出てくる。
 年齢は20代前半といったところ。顔立ちは声の通りに意思が強そうな感じだけど、キツイという印象はない。さらさらした銀髪のポニーテール。腰からは細剣を下げていて、服装は小ざっぱりしていてそれなりに仕立ての良さそうな物を着ている。
 第一印象は、快活で可愛い女の子だ。
「私の顔を見るなりに追いかけてくるんだもの、嫌になっちゃうわ。匿ってくれて、ありがとネって、あ、ああ~!?」
 彼女は僕の顔を見た瞬間、素っ頓狂な声を上げた。
「な、何でしょう?」
 またもいきなりだったので、僕は再び面食らう。
「キミ、もしかして……スタバくん!? スタバ・サンマルクでしょ!?」
 驚いた。
 スタバ・サンマルクというのはまさしく僕の名前。苗字はありふれているけれども、名前はそれなりに珍しい。
「あ、あの……どちら様で?」
 僕の知人、交友範囲に彼女の姿が入ったことは一度もない筈だ。
「ありゃ、私の顔忘れちゃった?」
「忘れたもなにも、初対面だよね?」
 もしかしてとても失礼な事を言っているのかもしれないけれど、僕はそう聞き返すことしかできない。
「……ま、いいわ。初対面、って事にしておきましょ。私はタリーズっていうの。タリーズ・ルノアールよ」
 見事に知らない名前だった。
「タリーズさんはなんで僕の名前を知っているんでしょ?」
「あはは、なんででしょうね?いいじゃない、細かいことは」
 タリーズは笑いながらぽんぽんと僕の肩を叩いた。その笑顔に僕もつられて笑みを浮かべてしまう。
 それが、僕とタリーズの出会いの一幕だった。

「スタバくん、来たわよ~」
 あの日から、タリーズは毎日のように喫茶店に来るようになった。基本的に商売っ気の全くないこの店、常連客になれば否が応でも僕が接客をしなければならなくなる。
「タリーズさん、今日も来たんですか?」
「なによ、私がこのお店に来ちゃいけないとでもいう法律でも、新しく施行されたりしたのかしら?」
「流石にそんなことはないですけどね……マスター、ブレンドをお願いします」
 タリーズはこの店で注文するのはブレンドの一択だ。だから、僕も彼女が来たら何も聞かずにマスターに注文を通してしまっている。
 この王国の国民は珈琲好きが多い。街には珈琲の専門店が溢れているし、どの家庭にも珈琲ミルは常備されているといっていい。タリーズもそうした珈琲好きの一人であるようで、この店に来るのは僕をからかいに来るだけというではなく、美味しい珈琲が目的でもあるようだ。
 僕が惚れ込んだ珈琲を気に入ってくれたのは嬉しいんだけど、タリーズの押しの強い性格には、ちょっと辟易していたりもした。
「スタバくんは、好きな女の子とかいるの?」
 そして、タリーズの言動はいつも唐突だ。
「い、いきなりなんですか」
 本当にいきなりだったので、マスターの淹れたブレンドを落としそうになった。
「ほんの興味本位の質問よ。で、いるの?」
 僕は一瞬目を逸らすのが遅れて、タリーズの意志の強い瞳に射抜かれてしまった。魔眼でも持っているんじゃないかというぐらいに、タリーズの視線は物をいう。
 こうなってしまっては、答えないわけにはいかなかった。
「まぁ、そりゃいますよ? 僕だって、健全な男子ですからね」
「へぇ。で、どんな子?」
 タリーズはカウンターの中に思いっきり身を乗り出して、僕に追い打ちをかけてきた。
「言わなきゃ駄目ですか?」
「うん」
 ――なにも、そんなに即答しなくても。
 口には出さずに、心のなかでぼやく。そして、一度タリーズに食いつかれたら、それを振り放すのが絶対に不可能であることを、僕はいままでの短い付き合いのなかで嫌というほど学習していた。
「初恋の相手、ってやつですよ。10年ぐらいまえだったかな、僕が初めて淹れた珈琲を飲んで、美味しいって言ってくれた子がいるんです」
「ふぅん、それはそれは」
 タリーズはなぜだか納得した顔で頷いている。
「あと、こいつは絶対に叶わない相手も好いてるぜ」
 マスターだ。
 普段は珈琲にしか興味が無いくせに、たまにいらないことをするから困り者だ。
「へぇ、そうなの?」
「ああ。エクセルシオール様に片思いさ。ファンクラブにも入ってるぐらいさ」
 エクセルシオール様とは、このカフィ王国の王女、エクセルシオール・カフィに他ならない。
「あはは、意外ねぇ」
 タリーズはそのマスターの言葉にも、妙に嬉しそうな表情を浮かべていた。マスターはそれだけ彼女に告げると、また新聞とにらめっこを始めてしまう。
「それじゃ、今日は帰るわね。面白い話、聞かせてくれてありがとネ」
 さして面白い話をしたつもりはなかったのだが、タリーズは満足したらしい。ポケットから銀貨を一枚取り出してカウンターに置くと、手を軽く振ってから店の外へと出て行った。
「ありがとうございました……はぁ、疲れる……」
 尋常じゃない疲労感をか感じながら、僕は風に流れる彼女のポニーテールを見送った。

 今日はマスターが親戚の結婚式に呼ばれたということで、喫茶店は休店している。僕は久々の休みに羽根を伸ばそうと、街を歩いていた。
 だけど、どうにも不幸の神に取り憑かれたらしい。繁華街を歩いていると、いきなり路地に引っ張りこまれた。
「スタバ・サンマルクだな? 来てもらう」
 低い男の声がしたかと思うとその声の主は答えも聞かずに、僕の鳩尾に剣の柄を突き入れた。
 落ちていく意識の中、僕の脳裏にはなぜだかタリーズの顔が浮かんだ。

「ぬ……く」
 僕が目を覚ますと、体が椅子に縛り付けられていた。周囲を見知らぬ男たちが囲んでいる。彼らの手には長剣が握られているところからして、事態は物騒なことになっているとしか言えない。
「起きたかね? サンマルクくん。手荒にして済まなかったね」
 男たちがふたつに別れ、その間から長身の男が姿を現した。
「ドトール卿!?」
 僕は飛び上がるほどに驚いた。男はこの国の宰相、ドトール卿その人だったからだ。
「おや、知っていてくれたのかね」
「高潔で知られるドトール卿がこんなことをするなんて……信じられません」
 ドトール卿といえば公正明大な政治をする人間として王国民から支持を得ている人間だ。なぜこのような行為に走ったのかがまったくわからない。
「キミに、ひとつ頼みたいことがあってね。普通に頼んでも信憑性が全くない話だろうから、あえてこのような手段を取らせてもらったよ」
「なにが目的なんですか?」
「目的は一つ。なんと言ったかな……そう、タリーズ・ルノアールとの交友を絶ってもらいたいのだ」
 いきなりの言葉。なにがなんだか、まったくわからない。
 ドトール卿に答えを返そうとした瞬間、室内の静寂が一気に崩壊した。
「ドトールゥ!」
 物凄い剣幕で怒鳴りこんできたのは、なんとタリーズだった。
「お、王女!」
 ドトール卿の言葉に、僕は驚くことしかできなかった。
「え、えええ!?」
「スタバくん、騙しててゴメン! 助けだしたら全部話すから!」
 タリーズは細剣を抜いた。
「く、お前たち、王女に怪我をさせないように、抑えろ!」
 ドトール卿はそう指示を出した。黒尽くめの男たちも長剣を構え、タリーズを囲む。
 タリーズが本当に王女なら、国内でも有数の使い手と称される王女に対して怪我をさせないように戦うことを強いられた三下、どちらが勝つかなんて賭けにしたらオッズが成立しないくらいだ。
 勝負は数分もかからなかった。
 致命傷を負ったものはいないが手痛く傷めつけられた男たちは、這々の体で部屋から逃げ出していく。
「王女! 今日の所は見逃しますが、今日だけですよ!」
 ドトール卿もなんだか三流の悪役のようなことを言いながら逃げていった。
「スタバくん、大丈夫?」
 戦闘の後だというのに、息も切らしていないタリーズが細剣で縄を切ってくれる。
「うん、大丈夫。だけど、タリーズが王女って」
 それがまだ信じられない。
「ま、こういうことよ」
 タリーズはポニーテールを解く。後ろで纏められた髪が開放され、流れていく。
 ――女の子って、髪型だけで印象変わるんだなぁ。
 本当にそう思う。
 ポニーテールを解いたタリーズは、まさしくエクセルシオール王女そのものだった。
「でも、なんで……」
 そして、心からの疑問。
「私とスタバくん、実は10年前に会ってるのよ」
「え、ええ!?」
「スタバくんが初めて珈琲を淹れた相手、それが私なんだけど……覚えてないんだよね?」
 記憶を発掘する。そこで思い出した。
「彼女は銀髪だった……」
「ふふ、少し思い出した? あの時、お忍びで街に出た私は珈琲の淹れ方教室に行ったの。そこで、スタバくんと出会って、珈琲を飲ませてもらったの。あの頃は厳格な教育の下にいたから、その思い出が私も忘れられなかったんだ。私の初恋も、スタバくんってことなんだよね」
 王女はなんだか照れたような表情を浮かべた。
 ――ヤバイ、ものすごく可愛い!
 ファンクラブに入るほどに憧れた王女の初恋が僕。その事実に、頭がくらくらする。 
「で、でもなんで今になって僕の前に?」
「最初はほんとに偶然だったけどね。でも、大変だったんだから。毎日、ドトール卿の監視を抜けだして喫茶店に行くのって」
「そ、それはどうも……」
 そうまでして、喫茶店に来てくれてたのか。男として、悪い気はしない。
「ドトール卿は庶民のキミと私が付き合うのは反対みたい。だから、こんな手荒な真似をしたんだよね。そこは謝るよ。本当にゴメンね?」
「命に別状はなかったしね、大丈夫。って、すみません、王女さま相手に軽口を」
「いいの、いいの。それで、私の初恋は……叶うのかな?」
 ちょっと、僕は押し黙る。
「答え、聞かせてもらえるかな……」
 彼女は顔を赤くしながら、僕の回答を待っている。
 僕の答えは、決まっていた。
「僕が本当に好きなのは王女さまじゃないんだ」
「え……そんな……」
 王女の顔が一気に曇り、泣きそうな表情になる。
「最後まで聞いて。僕が今、本当に好きなのはタリーズ・ルノアールって女の子なんだ。だから、タリーズとなら付き合ってもいいかな」
「え……う、うん!」
 タリーズは、花の開いたような極上の笑顔を浮かべ、僕に抱きついてきた。

 ――多分、この答えを出した僕の前途は相当に多難なものになるだろう。
 でも、後悔はしない。
 僕が見つけた、最愛の彼女が傍にいれば――。

 なんてね。